私が暫く振りにこの文面を綴ったのは、知り合いのあるご家庭からある質問が寄せられたことによるものです。内容は、お子様が通う某トップ一貫校の高校の授業で、暗唱例文用として配布された文章の中に、複数の和訳に違和感があるというものでした。以下、その一例をご覧ください。
(a) It is
difficult for you to finish the work today.
(君が今日その仕事を終えるのは難しい。)
(b) It's easy for
him to speak English.
(彼が英語を話すのは容易である。)
と言った類の暗唱例文が5例文も並んでいました。
ここでふと、「今日その仕事を終えるのは、彼にとっては難しい。」なら何の違和感もないのに、「彼が今日その仕事を終える」と言う命題、或いは事態が「難しいとか易しいといえるのか」と言う疑問が湧いてくるのは、私だけではないはずです。
実は、この問題に関しては、ニュートンやライプニッツが現在の物理学や数学の基礎を築いたのと同様に、現在の英語文法体系の先駆けとなった前世紀初頭の、イエスペルセンと言う文法家の誕生以来、結論はすでに出ており、物議を醸しだすような内容ではないのです。
「It is 形容詞 for 人 to-V」構文は、「It is 形容詞 ∥ for 人 to-V」と解釈する場合、「It is 形容詞 for
人 ∥ to-V」と解釈する場合、そして、どちらの解釈でも可能な場合があります。なおこれらの名称には、文法家が付した表現が多々ありますが、私は生徒さん方に対しては、「It
is 形容詞 ∥ for 人 to-V」パターンを「Sentence 補文」、「It is 形容詞 for 人 ∥ to-V」パターンを「不定詞(句)補文」或いは「動詞句補文」という呼称を用いています。
なお、上記のパターンにおいて、用いられる形容詞が、難易を表す形容詞の場合には、Sentence 補文の解釈は不可であり、不定詞(句)補文 or
動詞句補文の解釈しか容認されないことは、既に、consensus となっています。
上記の内容に言及した国内外の書籍は多々ありますが、日本英語語法文法学会の重鎮でいらっしゃる柏野健次先生の著書の一冊である「意味論から見た語法」(研究社刊)にも、上記の内容に関する詳細な言及がありますので、興味がある方はぜひご覧になってください。
上記三パターンに関して、どのパターンでどのような形容詞が用いられるかは、世界の多くの文法家の中では、一部意見の違いもありますが、「難易の形容詞に関しては、動詞句補文のみ」であることに関しては、意見が一致しています。
柏野健次先生の書籍の分類では、動詞句補文のパターンで用いられる形容詞には、「difficult、easy、hard、simple、tough
など」と、Sentence 補文のパターンで用いられる形容詞には「foolish、strange、wicked、wise、wrong その他、云々」となっています。また、どちらのパターンでも可能であるのは、「advisable、convenient、good、important、necessary、surprising、‥‥」など多数挙げられています。
加えて、柏野健次先生は、Lasnik & Fiengo(1974:"Complement objective deletion."
Linguistic Inquiry 5, 563~64)から以下のように引用して説明しています。また、以下の説明が本編の私の結論にもなります。
Predicates such as be easy or be hard cannot describe a proposition or
a state of affairs. It is only an action or change of state that
they can modify.
(be easy や be hard のような述語は命題や事態を修飾することは出来ない。それらが修飾できるのは、行為や状態の変化だけである。)
偶然にもこの文面に接することが出来た中高生の皆様方に於かれましては、「It is+難易を表す形容詞+for 人 to-V」と言う英文を和訳する際には、是非、「Vすることは人にとっては・・・だ、人にとってVすることは・・・だ」と訳してください。
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[追記]上記の構文において、Sentence-補文であるか、不定詞句補文であるかを見分ける方法の一つとして、for me を余分に挿入してみる方法があります。for
me を入れて違和感がなければ、Sentence-補文であると言えます。
Sentence-補文の解釈を容認する代表的な形容詞に strange があります。以下をご覧ください。
・It is strange for him to speak English fluently.
(彼が英語を流暢に話すのは奇妙(なこと)だ。)注:「彼にとって奇妙だ」ではありません。
上記の文に、更に for me を挿入してみましょう。全く違和感がありません。
・It is strange for me for him to speak English fluently.
(彼が英語を流暢に話すのは、私にとっては奇妙(なこと)だ。)
しかしながら、strange を easy 或いは difficult と言った難易を表す形容詞に入れ替えただけで、非文になるのは誰もが認識できます。要するに、難易を表す形容詞の場合には、不定詞句補文しか容認しないということです。
× It is easy / difficult for me for him to speak English fluently.
(× 彼が英語を流暢に話すのは、私にとっては易しい / 難しいことだ。)
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